日本書道美術館展

卒業生・修了生の言葉

「毎日筆を持って 」
書道大学44期卒業生 60代男性(東京)
 館長先生はじめ我が国の権威であられる諸先生方の熱意あふれるご指導をいただき感じましたことは、今日インターネットで情報を得たというだけで学び終えたと錯覚している教育風潮のある中で、一流の秀れた指導者の謦咳に接することの大切さ素晴らしさを教えていただいたということであります。
 お陰様で毎月の宿題に呻吟しながらいつの間にか筆を持たない日には、何かを置き忘れたような気分になっておりました。
 また、とにかく文字を書くという技巧だけに関心を持ちがちだった従来の学び方に対し、錚々たる諸先生方に導かれて、書に関する学識を深めることの大切さに目を向けるようになりました。
 更に日本書道美術館が蔵する、歴史にその名を刻む大家達のすばらしい作品の数々を毎月鑑賞できるという大変贅沢な環境の中で、書くことと並んで重要な鑑賞眼を養う上で書道大学ならではの貴重な経験を得ることができました。
 私達は書道大学で学んだことを礎にして、夫々の道を歩み続けるわけでありますが、今日の卒業式を大きな節目として力強い一歩を踏み出す所存であります。
 誠実にただ誠実に営みし
 わがこし方に悔あらなくに
 歌人でもあられる小山館長先生の詠まれたこの歌の心に一歩でも近付くことができますよう努力することを誓います。
「 上達した実感を得て」
書道大学48期卒業生 50代男性(東京)
 「書」を志す者に必要とされる事、それは優れた技量、深い学識、そして確かな審美眼、この三本柱であろうかと思います。私達は日本唯一の書道美術館が特設されている、書道大学にこの三条件を満たすべく、学びの理想像を求めてその門を叩きました。
 入学式の朝、良く手入れの行き届いた前庭、玄関そして掃き清められた筆塚等を目にして、この様な素晴らしい環境の中でどのような講座が開かれるのか、期待に胸を躍らせました。又、この日に行われた実力テストに殊の外緊張感を覚えた事は、今でも鮮やかに思い出されます。以来この2年間、楽しくも充実感に満ちた時間を過ごさせて頂きました。
 午前中の講義では書道史、書論など「書」に関する広角的な知識を、午後の実技では各書体の臨書の技術と創作について、日本書道界を代表する著名な先生方に熱くご指導頂きました。その内容たるや、予想を遥かに超えた広く深いものでした。そして、それぞれの授業の際、私達学生の質問に納得のいくまで説明してくださいました事は、大きな喜びでありまた、大きな糧となりました。
 この先私達は、書道大学で学んだ「書」に対する心構えと知識、習得した技術を礎として更なる学習、そして指導に大いに役立て精進する所存です。
「私を育ててくれた宝物の4年間」
書道大学大学院第17期修了 40代女性(鹿児島)
 「稱號記」をいただき、無事大学院を修了出来ました。家族が私を守り、取らせてくれた何倍もの重みのある賞状であります。
 4年前、検定仮八段に何回も落ち続けなんとかして受かりたいと思うころ、乳ガンの手術を受けました。家に帰ると、3交代勤務の為今まで東京での勉強を許さなかった主人が「東京に行っていい」と言ってくれたのです。この時の喜びは忘れることが出来ません。
 明日の不安よりも自分で新しい道を作ろうと思いました。私の学生生活のスタートでした。
 大学は一泊しなければ授業に間に合わず、横浜の姉が2年間助けてくれました。大学院はお昼からの授業の為、朝一番の飛行機と最終便を利用して1日で帰れ、喜んだのは子供達でした。
機内では前日2時間程の睡眠の為疲れてほとんど寝てばかりでしたが、私は満足でした。1ヵ月の中で宿題、検定(漢字・仮名)と追われ正直大変でした。でも忙しさの中で多くの事を学び幸せでした。
 漢字・仮名創作の中で悩む私を助けてくれたのが書道美術館の鑑賞でした。陳列された作品の数の多さ、その前に立つとあまりのすばらしさに先に進めません。毎月の作品鑑賞で書の見方が今までと変わってきたのです。なぜ検定に落ち続けたのか。この4年間の鑑賞、講師の先生方の講義、そして毎月の宿題、検定、これらが私に不足している面を考えさせ、育ててくれました。これからは少しでも多くの古典の臨書に励みたいと思います。
 御指導下さった先生方に感謝致します。家族の助けがあって過ごせたこの4年間は私の宝物です。
「作者の側に立って考えた作品鑑賞」
書道大学大学院第27期修了 50代男性(東京)
 6年前、新聞で書道大学の広告を目にし、全く書道歴がないことから、まずは書道教養講座でお世話になることになり、2年後に大学入学を果たし、大学院を経て今日修了を迎えました。
 講師の先生方からは一流の領域からの見方、考え方をうかがい、生で先生とその書に触れられる貴重な体験であったことは言うまでもありません。もうひとつの宝はクラスの仲間です。疑問に思ったことを何でも相談できる頼もしい方々です。そういう皆さんと競い合うのではなく、自分なりのハードルを設定し一つずつクリアしていくこと、それに関することを授業や周りの方々から吸収させていただく、この繰り返しが私の4年間でした。
 その中で、毎月の「鑑賞文」が役に立ちました。感想を書くというよりも、作者はどのようにその言葉をとらえ、どのように書を構築していったのかということを、作者の側に立って考え書いてみました。もちろん間違いだらけかもしれません。しかしそれを試みることによって毎回新たな発見があったのです。この積み重ねも自分を成長させてくれたひとつだと思います。
 書道大学は、先生方が様々なことを教えてくださいますが、受身ではなく能動的に自分の力で能力を伸ばす場所だと感じました。これからもこの姿勢で自分なりに書の研鑽に励み、自分自身の人間形成にも努めてまいりたいと思います。
「正統派を基本に学ぶ理想的な学校」
書道大学専攻科第6期修了 50代女性(埼玉)
 私はかつて、何人かの著名な先生につきましたが、どこにもその先生の書き方だけを認める派閥があり、矛盾を感じながら勉強していました。
 ある日友人が「あなたの様に書道塾をしている人がちゃんと勉強しなくてどうするの」と云いながら「流派を問わない学校がある」と教えてくれました。その一言で即、入学を決意しました。入学してからの毎月の授業は“目からうろこが落ちる”ことだらけでした。
それまで嫌いだと言ってなまけていた仮名の勉強に取り組み、1日一巻の写経をこなしていきました。その中で仮名の美しさに目覚め、写経を通して精神的な安定も感じられ、時間をやりくりして夢中で書き続けました。
 正統派を基本に学ぶ書道大学は、私達の書に対する見解を正しく導くことにおいては理想的な大学です。
「感動をともに」
書道大学専攻科第9期修了 50代女性(奈良)
 私事、専攻科を修了し早7ヶ月を過ぎようとしています。この間に館展にも出品して、夫と千葉に住む娘と3人で鑑賞致しました。夫に、通った6年間を見てもらったように思い、改めて感謝「ありがとう」でした。夫も、立派な美術館に展示が適い喜んでくれて、3人で乾杯致しました。
 「館展」以上にびっくりしたのは、「卒業制作展」でした。6年間席を同じくした友と再会し、美術館を訪問。自分の作品は別館にと思い込んでいました。ところが、何と最高の陳列ケースの中に…我が目を疑いました。
友達も同じ所に展示され、感動を共にしました。二度とこの感激は味わえないだろうと思いつつ、勉強を重ねて、いつかもう一度この感激を頂けるよう努力しようと心の中で誓いました。余りにも嬉しく、心よりお礼申し上げます。
 6年間、未熟な私を育ててくださった立派な諸先生方との出会いも貴重な体験でした。
 本当に有難う御座居ました。またお目にかかれる日を夢見て日々励みたいと思います。